中国にて

ついでに、昨年の留学体験レポートをアップ。
なぜか、ゼミの先生の著書にいくらか使われた。





海外に半年間、滞在するということは初めての経験であり、それは毎日が刺激的であ
り学びの連続であった。僕の留学先は、今世界が注目する中国であった。急速な経済
成長、記憶に新しい北京オリンピック、華やかな文化だけではなく環境問題、最近のチ
ベット、ウイグルなどの人道的な問題。というより、最近のニュース等を見る限り中国
に対してネガティブな感情を描く人のほうが圧倒的に多いだろう。実際に、経験として
そのような感情を自分も持たざるを得なかったこともあった。しかしながら、半年間と
いう短い期間ではあるが、中国、またはその国の人たちと関わり、理解していくことに
よって感じた、中国の素晴らしさも間違いなく得た。そのような、中国で気づき学んだ
ことを、中国のプラス面、マイナス面を中心に体験談も交えながらまとめていきたい。
危険で、汚くて、臭い。これはいまだに中国に対して思わざるをえない感情だ。これ
は都心に近づくほど顕著になってくると思う。まず危険。たとえば車が信号を守らない
のだ。赤信号であろうと止まらない、人がいても止まらない。慣れるまで何度轢かれそ
うになったか分からない。横断のコツとしては、車を怖がらないとのこと。なぜなら、
車も人を轢くのは怖いからということ。他にはスリ。じぶんも何度か、日本から持って
きた電子機器をすられそうになった。特にバスや市場など人混みが激しいところは危な
い。日本の感覚で外に出てはいけないのだ。自分の身は自分で守る。見知らぬ人は信用
してはならない。日本みたいにのほほんとしてられないのだ。汚さ、これもなかなか慣
れることができなかった。通学路にゴミの山に遭遇した時は驚いた。正直、中国人の民
度が低いと言わざるを得ないのだが、彼らは平気でポイ捨てをする。でも掃除する人が
いない。だから、ゴミの山は延々と高くなり続けるのだ。見た目も良くないし、臭い、
近隣に住んでいる人の身体の影響も心配だ。全体的に衛生状態はよくない、食事も然り
である。自分は、中国料理は世界一だと思う。実際お腹がぽっくり出てしまった。しか
し、その料理のせいで、10回は腹を壊している。ちなみにトイレはどうかというと、
それはもうとんでもないことになってしまっている。恐ろしい状況だ。やはり、中国人
は大雑把と言わざるをえない。そして、几帳面な日本人だけに、そのギャップは大き
い。臭い、というより空気がよくない。理由としては自分のいた天津は中国の主要な工
業都市だということ。口を手などで覆いながら歩くこともしばしばだ。経済成長が著し
い中国、高度経済成長期にあった日本もこうだったのだろうか。間違いなく、身体にい
いものではないだろう。
これらは体験として肌で感じたものだ。日本の豊かさを感じざるを得ない体験でもあ
る。中国での滞在経験があるが、なかなか中国を好きになれない方の主要な理由は大
概、上記によるものだろう。中国が好きな自分でも、上記のものは好きになれない。も
ちろん中国人も好きではないようだが。これらの理由を民度が低いと言ってしまえば
それまでなのだが、格差問題、福祉の不整備といったところがそこにはあるのだろう。
 経済の急速な発展は、身をもって感じることはできたし、それによって豊かになってい
る人たちがいることは間違いない。実際、少し前まで生きるのが精いっぱいだったとい
う、友達もいた。家には、風呂もトイレも台所もなかったのだという。しかしながら、社
会全体の豊かさを考えるなら、格差や福祉といった問題は無視できないはずだ。格差は治
安を悪くする原因にもなりえるし、福祉の不整備は環境の汚染などにつながる。経済的の
側面だけではない部分の現実を直視し対応する姿勢が中国には間違いなく必要だ。これか
ら世界をリードしうる国だからこそ、そう切に思う。

 批判ばかりが続いてしまったが、もちろん悪いとこばかりではない。というよりも自分
は今日本が学ぶべきところも、いいところが数多あると考えている。中国のいいところの
一つは、人と人とのつながりだと思う。日本と比べ、人と人との精神的な距離が近い。そ
のせいで、よく喧嘩も勃発してしまうのだが、逆に仲良くなるのも早いし、深く付き合え
ば本当によくしてくれる。長距離の列車に乗ったら、到着するころには、となりの乗客と
はもう友達になってたりする。風邪引いただけなのに、大学の友達数人がわざわざ寮まで
駆けつけてくれた時は感動してしまった。中国の大学生はみんな寮に入っている、だいた
い4人部屋だ。それと、日本の高校までのように、クラス制でありしかも4年間クラス
替えはない。だからか、とてつもなく団結力が強い。引きこもりなど、存在しないのだ。
 どこの町にも、ちょっと大きめ(多摩大の敷地くらい)の公園が存在する。夜、散歩が
てらその公園にいってみると、そこには人だかりがあるのである。そこでは老若男女、下
は小学生、上は80歳くらいの人たちが、遊んでいるのである。それぞれがやりたいこと
を、それぞれがやりたいように遊んでいるのである。若い人は、スノボーやスケボー。中
高年は踊りや歌。そして高齢者は、定年後始めた趣味を各々披露しあっているのである。
それは、書道であったり、伝統絵画であったり、伝統音楽であったり、どれもクオリテ
ィーが高いのだ。年齢の違う人たちが、同じ場所で、みんな楽しそうに遊んでいるのだ。
この光景には感動せざるを得なかった。まず、みんながとても開放的でフランクであるこ
と、自分も気付いたら、地元のおじさん、おばさんに交じって、ケマリみたいな遊びをし
ていた。そして、高齢者があまりにも元気であること。ここぞとばかりに自分の技を披露
しあうのだ。みんな、ずっと笑っている。こころから楽しそうなのだ。聞くところによる
と、仕事がないことへの解放感、自分の好きなことができることに対しての喜びがあるよ
うだ。
この発想は、仕事に献身的で、美意識まで求める日本人には難しいものだろう。このよう
な、気軽に趣味などの遊びに参加できる場所、そして気軽に人とのつながりを持てる場
所。定年後の活動が多くない日本、コミュニティ、人とのつながりが希薄になってしま
ったこの日本にとっては羨ましいものである。
 中国の大学生はとても勉強熱心だ。早朝、散歩をしていた時のこと、大学の図書館に
目も向けてみると、なんと30m程の長蛇の列ができているのだ。まだ開門前である。
勉強するための席を確保するために朝早くから並んでいるのだ。驚きである。正直、日
本の大学生は大学入学後あまり勉強しない。なぜならもう受験などないからだ。しか
し、中国人大学生は違う、受験はないが過酷な就職競争がまだ待ち受けている。そもそ
も、中国で大学まで行ける人はほんの一握りである。だれしもが行けるわけではない。
そして、就職も20%〜30%といった狭き門なのである。そこをくぐるのに必要なの
は勉強なのだ。日本も厳しい状況でないわけではない、日本の大学生にも厳しさ、難し
さはある。しかし、彼らの生きることへの貪欲さ、真面目さは見習わなければならない。 
自己主張。中国人は少し利己的と思ってしまうほどに自分の考えを主張する。大陸文
化だからか、自分を主張せずには生きてはいけない。実は、自分が留学生活で学んだ
一番大事なことはこれではないかと思っている。正直、中国人の自己主張加減には少し
むかつくこともある。周りのことをまったく考えずに、自分を主張するときだ。例え
ば、マクドナルドで食べ物を注文している時など、突然横から割り込んで自分の注文
をしたりする。これは違う。人とコミュニケーションをとるときは、まず相手の状況
もしくは相手の考えを理解することが大事だ。しかし、そこでは終わらない。自分が
何を考えているか、どうしたいのか、これを正確に相手に伝えなければならない。そ
こで初めて、自分という人間がそこに存在するのだ。日本人は周り、相手の状況、考え
を理解することはできる。しかし、そこまでで、あとはただ周りの流れに乗ってしまう
のだ。それでは、存在しないのと一緒だと自分は思う。これらのことを、体験を通じて

深く思い知らされた。中国では、買い物の値段はほとんど交渉で決まる。宿に泊まる
ときだって、どれだけ自分の意見を伝えられるかで同じ値段でも、環境が変わってく
る。そして、何よりも人間関係だ。耳を傾けているだけでは駄目なのだ。意見を言わな
ければ、ないのと同じである。相手が察してくれるなんて思ってはいけない。自分の
考えを持たないと思われるだけだ。これが国際基準だろう、本当にいい勉強になった。
半年間という、短い留学生活だったがいい経験ができたと思っている。いい部分もあ
ればそうでないとこもあった。ただこの大不況の中、不気味に経済成長しつづける大
国中国に来られたことは、本当に幸運に思う。そして何よりも、自分が日本人である
こと、日本という国を客観的に見られたことは、一番の収穫といえるだろう。大事な
のはこれからであり、まずは多摩大学での学生生活にうまく生かしていきたいと思う。