マイ地域活動

今日は多摩地域活性のシンポジウムが多摩パルテノンセンターにて行われた。内閣府と大学が共同で開催された
物なのだが、なぜか自分が学生代表の一人として、地域SNSについてのプレゼンター、パネラーとして呼ばれ話されていただいた。正直、予想していたより地域や先生方から、お褒めの言葉を頂き驚いた次第である。びっくりだ


地域に本格的に関わらせて頂いたのは、昨年の夏くらいからだ。中国留学から帰ってきて、地域活動に関わろうと思って始めたのだが、始めは本当に一人からの始まりだった。正直、地域活動、地域活性化といっても一体何から始めたらいいか分からなかったので、とりあえず地域に出た。一人で多摩市に入り、人気のない商店街の喫茶店や道に歩いている、おじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばちゃん(何故か若い人にはでくあわず)に「多摩市どう思います?」と聞いて周った。アンケート用紙をつくり、地域イベントに出て、配って書いてもらったこともあった(これも寂しく一人)。
そうやって、情報を聞いて周ると「この町には情報のマッチングが起きているぞ」と感じた。これが地域SNSを作ろうと思ったきっかけだ。どういうことかというと、高齢者の方に色々話を聞くと、自分はもっと地域に貢献したい。時間もやる気もあるぞ。でも、やることがないんじゃ。ということがチラホラと聞こえた。で、実際そういう場はないのかと調べてみた。そうした所、実はある、あるどころか人手不足で困っているという位だった。問題はその情報が集まっている場所。聖跡桜ヶ丘に地域活動情報が集まっている情報館なるものがあるのだが、実際行ってもみたが、立地が悪い。誰もこんなところに足運ばねーよ、特に高齢者は、という場所にあるし、実際その存在をしっている地域の方は極めて稀であった。
そこで、まず思ったのは人が沢山集まる場所を作ればいいのでは?ということ。つまり、人が沢山集まる場所を作れば、あとはそこに情報を投げれば自然にマッチングは起こるのではというもの。しかしながら、そんな場所を作れる能力オレまだね〜よと感じである。そんな感じで、悶々としていたら、はて、リアルな場じゃなくてもバーチャルの場でいいんじゃないのか?と閃き、地域SNSを思いつくのに到ったのである。

あとはもう流れに乗ってここまで来たって感じだ。確かに頑張ったし、きついこともあったけど、本当に運よくいろいろつながっていった。
簡単に説明すると、まずは寺島ゼミだ。学長のゼミがちょうどその年から始まり、松本先生に誘われ、多摩班に途中ながらも入れてもらった。地域SNSには大きな問題が一つあって、それは果たして高齢者地域のこの多摩で活用されるのか、というもの。高齢者はITに疎いからだ。地域SNSを使ってもらうには、その中に面白いコンテンツを充実させなければならない。んで、SNSではそのコンテンツは使っているユーザーであり、彼らが書く内容である。しかしながら、そもそも高齢者はITが疎い為、入ってくれないし使ってくれないということ。
で、この寺島ゼミ多摩班は「若者を地域に関わらすことで多摩を活性させる」ことをテーマに研究をしていた。しかしながら、それに対する打開策が見当たらないというタイミングで 僕は参加させて頂いた。「これはチャンス!」(そのアプローチならSNS出来るかも!)と思い必死でプレゼンしたのを覚えている(確か多摩センターのデニーズ)そしたら、面白いと言うことで、採用され最終的に学長の前でプレゼンもした。
ある夜のデニーズミーティングにて、なぜ地域SNSが必要なのかということを上記意外にも、自分の過去(自分は幼少期NPOに育てられた、だから地域のNPOの発展の為にもやりたい)を踏まえて語ってたら、じゃあ来年もやりなさい。地域SNS用にゼミを用意するからと、松本先生に言って頂いたのだ。
そしてこの半年を片桐ゼミにて活動させて頂き、冒頭のような場所に気づいたらいたという次第である。(この半年の過程の苦楽はこのブログとツイッター上に残してある)

地域SNSに関しては、起動したばかりでありまだまだ課題は山積みだ。でも、ここまでの過程をこうして辿ってみると意外に進歩してるなおれ。ってのと運がよかった〜って感想だな。進んでないように進んでる。周りの人とのつながりでここまで来たって感じだ。

これからもがんばろっ




以下はシンポジウムのパネルディスカッション用にメモってたのを添付、一部修正


そもそもなぜ地域か
①社会貢献したかった
地域やろっかな〜と強く意識し始めたのは、「書き損じハガキプロジェクト」の時だ。このプロジェクトは年末年始の年賀状シーズンに出る書き損じハガキを集め、換金し(40円くらいの切手に替えられる)、タイ、ラオスカンボジアの貧しい子を学校に行かせる学費にしようというもの。あるNGOを通して行い結果1200枚(大手企業の初年度は800枚程)くらい集まり、(この際に地域の方々に協力していただき接点を持つ)計4人ほどの一年間の学費になった。なんか、社会に貢献したいなと思って始めたのだが、なんか引っかかっていた。それは、実感がないというもの。遠い国の人の為に、中途半端に関わるよりも、近くで困っている人と真正面から関わってガッツリ役に立つほうが社会的に意義があるのではと思ったのだ。
活動の途中で出会った、ヤクザ業から足を洗い、僧侶になり、ミャンマー等で学校を作る活動をしていた、北朝鮮旅行等にも行っちゃうような人に言われた言葉が大きいかもしれない(長くなるので割愛)


②逃げ出したかった
もしかしたら、これが一番大きいかも。とりあえず、今の現状から抜け出したかった。今の現状というと多摩大学だ。大学がつまらなすぎていやだった。何がつまらなかったというと、アウトプットの場がなかったこと。多摩大生の意識が極めて低いことに嫌気がさしたことかな。志を持って入ったつもりだったが、1年の後半くらいから学校に行かず、バイトに行くかファミレスで一人で本を読んでた。んで、何とかしてここから脱出したくて、ラオス行きの青年海外協力隊に応募して見たりもしたし(落ちたけど)、あわよくば海外他大学に派遣されるべく野田名誉学長のところに、新学部の提案に行ったこともある。
んで、結局中国に留学という形で逃亡した。そこで、考えた。残りの学生生活どうするか。学校を辞めるべきか、続けるべきか。結論として続けようと。なぜならそれが最低限の親孝行かと。でも、学校はつまらない、どうしよう。。。しかも、既に単位はギリギリなので、通うならガッツリ登校しないといけない。そう考えてたら、よし、地域活動をしよう!ということになった。多摩地域で面白い活動をすれば、きっとその為に大学に行く!!アウトプット出来る!巻き込んだ学生も意識変わるかも!まさに、コペルニクス的発想!!


②成長、成功したかった
ずっと自分に劣等感があった(今もだけど)。なぜ、こんなにちっこいのだろう、どうしたらもっと成長できるのだろうとずっと考えてた。そう考えてたら、地域活動は適しているのではないかと思った。というのも、1年生の時、あるプレゼン大会の時みたデキメンが地域活動をしていたことがひとつある。
でもって、学生の間に小さい規模でもいいから成功体験をしたかった。いつか、でっかくやる為のシュミレーションとして。ビジネス書は好きでやたらと読んでいたので、無駄に知識だけはあり、新規事業立ち上げの際、重要なポイントは「タイミング」だということは知っていた。つまりは、流れを読みいかに成長産業にて事業を始めるかということ。その点において、「地域活動」は多摩大学において成長産業になりうるものだった。どういうことかというと、ちょうど僕の入学時に学長が寺島実朗氏に代わった。そして、その学長の多摩大ビジョンを聞いていくと、どうやらこれは「地域活性化」が多摩大挙げての‘産業’になるぞと思っていた。したがって、1年の時から、その類のことをちょいちょいしてたし、先生ともつながりを持つようにした。
あと、多摩大学等、自分が持っている資源でどうしたら最大限のパフォーマンスが出来るか考えていた。それを踏まえ、中国から帰ってきてから、現場や資料を見ながら出てきたアイデアが二つ。一つ目は「地域SNS」だ。まず、SNSはここ数年各地で成功事例が沢山挙がって来ていたということ。あとは、多摩大は経営情報学部ということで、ITに非常に力を入れていて、優秀な先生も学生も多かったからだ。これは極めて成功確率が高いだろうなと思っていた。二つ目は「NPOコンサルタント」多摩市には面白いNPOがいくつもあって、かつ収益的に困っているところが多かった。これは事例をほぼ聞かなかったが、経営に強い多摩大学をバックに動けば、かなりいいところまでいくだろうなと思っていた。結局、その時は流れの中で前者を選択したのだが、気づいたら予想外にも後者も今やっていてびっくらだ。

やっていく中で嬉しかったこと。

想いが実現されていく過程は非常に嬉しく、自信にもなっていった。
想ってることって実現しちゃうんだな〜と。
でも、それ以上に、その過程で出会った人や経験が面白かったかもな。
小学校の全校朝会で全校生徒の前で、壇上に上がりコメントするなんてそうはないし、
身障者の方々と一緒に働いて、友達になることも稀だろう。
地域のおばちゃん達に普通に怒られるなんてことも、ありそうで実はあまりない。

地域に関わり、たいしたことしてないのに感謝されるのは、得した気分になるし、爽快で純粋に嬉しい。

特に嬉しかったことの一つは、仲間に感謝されたこと。
自分が誘い、地域活動に参画することで、彼ら彼女らが変わっていくいく姿をみるのはとても嬉しい。
ある子は、活動前はどこか自信がなく、どこか暗いイメージも漂わせていた。学校に自分の居場所もないといっていた。
しかしながら、今は雰囲気がガラリと違う。自信をもった明るくすごい素敵な人になってる。今では地域に欠かせない存在であり、
最も多摩地域に貢献している多摩大生だと自分は密かに思っている。以前は精神的に不安定な時もあり、薬を飲んでいたというが、
今ではその数が著しく減ったという。これらは、きっと自分自身で悩みながら努力していった結果なのだろうが、僕がそれに少しでも関われたのがすごく嬉しい。
中国留学生を地域活動に呼んで大変喜ばれた。今までの、日本語を使う機会や、社会人や日本人の学生と交流する機会がなかったからだ。また、面白かったのが、ここで交流した自分が誘った日本人学生の仲間が、中国留学生を支援することにのめり込み、リーダーシップを発揮して自分で地域イベントの中でお店を出し始めたことだ。そんな積極的な奴じゃなかったのに。で、しまいにはついにこの夏から中国に留学に行ってしまったw


感じたこと、得たこと、苦しかったこと。


モチベーションの保ち方。


巻き込む力の重要性
過去体験で説得力を


嬉しかったこと。
マッチングさせた仲間が成長してく様を見たとき
自分のやりたいことが見えてきたとき


地域活性化しとらん?


部外者としての姿勢。
自分は多摩市民ではない、ミスっても実は痛みない。実は受け入れる地域の方がリスクある。地域には地域の雰囲気や流れがある、そこに部外者の我々が入るということ。
前提として、最低限の理解。理念、背景。
成長する場を頂いたことに感謝すること。


一人で色々やろうとするよりも、色んな人の力を借りながら進んで行った方が格段にスピードも完成度も上がること。
力を借りるという選択肢を選べるかは否かは、自分の為→誰かの為 という発想の転換が必要


進む程に


地域活動は
地域インターン


提案
IT、経営

多摩大学のITボーイズと地域をつなげる。
ITボーイズ、コミュ力足りないし。
NPO盛んなサンフらシスコと盛んだった多摩市の違いはIT力。


地域にも度量必要
多少の痛みは我慢しろ


結局は先生方の腕次第か?


自分のやりたいことが見えてきたかも、
社会に目立たない原石を輝かせること!??

アジア、、、